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2012年11月30日金曜日

映画批評 - エヴァンゲリヲン新劇場版:Q見てきました

11月18日の公開から2週間、ようやくエヴァンゲリヲン新劇場版:Qを見ることができました。
まあ、劇場座席の規模も大きいため、混み合ってはおらず(最終時間+雨天で人もまばら)快適に見ることができたのですが、まずは予告の洋画の占拠率。もう邦画は宣伝する気が無いのでしょうか。それとも単に注目を集める邦画がないだけか…

突如、「巨神兵が東京に現る」といった予告編的な映画が流れたが、
あれもたった5分で「終」の文字を見るとは、とても驚いた。
なにか、7日間(ナウシカもそうらしいが)でユニバースが滅亡にいたる経緯を
天の声(弟の予言を聞いていれば…)が語っていた。
ヒーローの不存在さとCGでいとも簡単に壊れ行く東京の姿にちょっと悲嘆。

金曜ロードSHOW!で新劇場版:Qのオープニング6分を見たため、
そこのところはおお、宇宙で凄いなーと関心したが、その後の戦艦の姿といい、
リツコさんの「誰かに似ている」率この上なく高いし、
カヲルのピアノ・レッスンはど丁寧だし、そもそも全体的にかっこいいし、(怒る姿なかったから)
やはりシンジの勝手なる行動がサードインパクト・フォースインパクトを起こしてしまって
父の「計画通り」そのものだったし、
何かしらアニメの要素は入っていたし、
ほのぼのシーンがなかったのはちょっとさみしいし、
アスカの態度はなんか生理的に受け付けないし、
マリのシリアスシーンに対する軽さは一番安らぎを得られる。

また気づいたことがあれば下に追記していきますね。
もしや、ネタバレしてますかね?してても、わからないものね。
使徒はスタイリッシュ、血の噴出はグロリッシュ。

ttp://www.evangelion.co.jp/final.html
これ、競馬の武豊さんの出ているJRA公式の動画で、
予告の画面にあったよね。
ちなみに、:❘❙は音楽用語でフィナーレを表す。

さあ、四部作で簡潔に完結してもらいたいものですね。
2,3年後には、拍手のシーンが待ってるでしょう!?

追記:成人の日にはまた映画見に行こうかな。
推測がつくようなことは記しておこう。
2020年の公開はCOVID-19の流行が収まらない限りは無理かな。

2012年9月10日月曜日

記憶・体得方法

僕が大学受験における知識の記憶方法としては、
ノートを自分で作って、自分なりに覚えること。
これが一番やりやすい。ごろ合わせも悪くはないが、
他人から「覚えろ」と押し付けられたものは、
かえって自分の中に定着しにくく、
テストであわてやすい。そして、入試直前になって振り返って、
入試で忘れる。
そう思うのだ。

演劇はどうなのだろう。
他人の作る台本のセリフ(1本分)を覚えろ。
それを覚えたら自分の作る台本でその表現を使えるはずだ。
僕は、中学で習った「春はあけぼの」の4文の中まで忘れている。
なのに、高校で習った古文文法は、(自分なりに勉強したので)忘れていない。
古語で見学旅行の感想文を書いたクラスメートがいる。
自分の体験記を情趣ある古語で入力したのだ。
やはり、単純・明快な規則は一番頭に残る。

アドリブが効くために、
他人のまねを完璧にしようと強いるのは
自分の苦手意識を強くするためかえってよくないと思われる。
自分で考えて、工夫して、積極的にどうすればいいか
改善点を引き出してもらい、直していくのがよいだろうと。
これは、単にゆとり教育に限ったことではない。

政治家の「演説」なんてどうですか。
他人のまねをしたら、非難されますでしょうか。
故人の言葉は、もっとあるはずです。
それを自分の公約と絡めて考え、
自分の言葉として吸収・発言するべきです。

単に「公立校」に入らせるためには、
知識の押し付けではなく、
自分で「考える力」を育てるように
仕向けてあげるべきではないかと思う。

2012年7月30日月曜日

気づit a こと - 自分でも気づかない「上からメセン」

久々の投稿ではあるが、夏の暑い深夜に打っているため、多少の誤字は見逃して欲しい。

このブログの右やら下やらに自分のSNSのページがある。これは、大学入学にあわせて登録したもので、かれこれ数ヶ月経つ。高校の後輩からサークルの先輩までフォロー(登録申請)していき、自分のアカウントをフォローされ(登録承認)、それぞれ200人辺りがフォロワー(友達)となっている。最初は、返信した後の返事が帰ってくるのかどうか分からなかったが、今では、自分の投稿に返信してくれることもあり、自分が描くSNSの理想形に少しづつではあるが近づいていると思う。しかし、自分のフォロー数を(最終使用日や関心を基に)調整することもある一方、フォロワーが一人減るだけで、なぜフォロー解除されたのだろうと思わずにはいられなくなった。それは当時フォロワーがフォローより同等もしくは越しているのが理想だと思っていたため、自分の投稿(返信を含む)を共有の場で見る価値が持てるような工夫をしてきた。つまり、フォロワー数に神経質になっていた。
以前、「フォロワー数って重要ですか?」に関連するサイトがあり、フォローしても相互フォローをしてもらうには、プロフィールや内容を吟味し、そして時間を消費するものだと僕は結論づけた。何も関係ないのに突然僕のフォロワーになる、アフィリエイト等を宣伝しているアカウントのフォロー・フォロワーを見て愕然としたのを覚えている。これを共有するフォロワーの意図がわからないよ、と突っ込みたい。
追記:鍵をかけていても、フォローリクエストがしつこい(相互だったが、外してまた許可のリクエストして、許可を取り消してまたry)bot系?アカウントも要注意である。

あまりに駄文なのでここで終了させていただく。読み損したと思って結構。